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長浜の魅力

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落と自然

隠れ里「菅浦」

びわ湖の最北端。深く入り組んだ湖岸沿いに車を走らせると竹生島と葛篭尾崎の先端が見えてきます。さらに進んだ先に山々に包まれるようにしてひっそりと菅浦の集落はあります。集落の入口には「四足門」と言われる茅葺きの門があり、昔は村の出入りを監視する関所の役目を果たしていました。別名を「四方門」とも呼ばれ近年までは東西南北4箇所の集落入口に設置され集落内を明確にしていたといいます。

 

集落の前には琵琶湖が広がり、裏はすぐに山がせまっています。特徴的な石垣を積んだ防波堤は、波除だけの機能ではなく、田畑を耕す土地が少ない菅浦にあって防波堤の上の僅かな土地に野菜や果樹を植える生きるための知恵を感じさせます。

 

また、菅浦は「かくれ里」とも呼ばれているように、昭和46年頃までは、陸路もなく、集落への交通は足と舟しかないという、まさに陸の孤島でした。淳仁天皇の伝説や地縁的な自治組織「惣村」によって自治されてきた名残が垣間見える、珍しい集落です。

鍛冶のまち「鍛冶屋町」

鍛冶屋町は、名前の通りかつて鍛冶で栄えたまちです。当地での鍛冶の始まりは、室町時代にまでさかのぼると伝わります。秀吉公の時代には武具や槍を生産し、ここで生産された槍は「草野槍」と呼ばれていたそうです。その後、明治時代には農具を作る野鍛冶へと形態を変えながら技術を継承し、当時100件近くの鍛冶が軒を連ねていました。

しかし、鉄製品の量産化が進むにつれて衰退、昭和中期には一斉に廃業し、現存して実際に使える鍛冶小屋は市文化財に指定されている「萬右(まんよ)鍛冶小屋」のみです。鍛冶の衰退とともに、過疎化も進み、活気がなくなっていくまちを再興させようと、5年前に地元に住む草野武さんが、有志3人とともに「鍛冶屋まちづくり委員会」を立ち上げました。野鍛冶の復興から始まった「鍛冶屋まちづくり委員会」の活動。この活動をさらに発展させ、地域内外に発信していこうという動きの一つとして「とんてんかんin鍛冶屋!!」というイベントが生まれています。

 

草野川のほとりにある歴史深い情緒ある鍛冶屋町で、「とんてんかん」と鉄を打つ音が毎日響き始めるのも近いかもしれません。